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指導・監査・処分の「3つの不幸」◆Vol.3 保険医の権利として立会人選任権を定める法改正を

石川 善一(石川善一法律事務所 弁護士)

(2012年4月18日 m3.com 医療維新掲載) http://www.m3.com/iryoIshin/article/150175/

 7.健康保険法改正(規定)の両面

 憲法31条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めている。多数の学説は、その「法律」は「適正な法律」でなければならならず、かつ「手続」のみならず「実体」も同様であって、その趣旨は、「刑罰」のみならず「行政上の不利益処分」にも及ぶべきであると解している。したがって、保険医等に対する取消処分について定める健康保険法も、次のような両面の改正が必要である。

(1)適正な実体規定への改正(病理現象の原因最小化)

 ここで実体規定というのは、取消処分の要件を定める規定のことである。健康保険法80条と81条は、取消処分の要件を全く限定せずに、極めて広範なもの(厚生労働省令違反)にしている。このことが、前記のような病理現象を生じさせる原因となっている。

 筆者が考える「適正な実体規定」とは、不利益処分(取消処分)の要件が、同処分による不利益の重大性に比例した違反内容その他諸事情の悪質性がある場合に限定されているものである。

 行政庁の裁量権の逸脱・濫用がされないように、取消処分の要件=行政庁(担当官)の裁量をできる限り限定(前記原因を最小化)し、担当官による行政(「人の支配」)から、法律による行政(「法の支配」)へ、転換していかなければならない。

 上記裁量を限定する方法としては、(1)前記東京高裁判決が考慮した諸事情を取り入れること、(2)各事情の考慮の仕方を点数化・ランク付けすること――などが考えられる。一つの参考となるものとしては「一級建築士の懲戒処分の基準」がある(国土交通省のホームページPDF:560KBを参照)。なお、現状では、保険医登録・保険医療機関指定の停止処分を導入するような改正は、あってはならない。厚生労働省の「広い裁量」の権限拡大にしかならないからである。

(2)適正な手続規定への改正(病理現象の予防)

 実体規定について、要件をいかに詳細に定め、裁量を限定しても、無限に存在するすべての場合を想定した要件は定められないから、裁量(評価的判断)の余地は残り、またその前提となる事実の認定(認識的判断)が必要である。

 ここで手続規定というのは、取消処分に至るまでの手続(すなわち上記判断をする手続)を定める規定のことである。

 健康保険法は、取消処分に至る手続として、監査と社会保険医療協議会への諮問を定めており、同法の運用においては、(1)指導も監査に直結する手続となっているが、指導・監査いずれの手続についても、保険医等の権利(手続上の防御権)を全く定めておらず、適正ではない。また、(2)聴聞の手続については、行政手続法による権利保障があるが、十分ではない。さらに、(3)社会保険医療協議会への諮問とその答申の手続については、社会保険医療協議会法が定めているが、保険医等の権利(手続上の防御権)を全く定めていない。

 筆者が考える「適正な手続規定」とは、不利益処分(取消処分)の要件を具備するか否かの判断(事実認定と評価)をする過程において、同処分によって不利益を受ける者(保険医等)にとって、その不利益の重大性に相応した十分な防御権(手続上の権利)が保障されたものである。

 行政庁の裁量権が広範な現状では特に(将来、裁量権が限定された場合であってもなお)、その逸脱・濫用がされること(すなわち前記病理現象が生じること)を予防するために、保険医等の十分な防御権(手続上の権利)が保障されなければならない。

 保険医等の手続上の権利としては、(1)健保法改正によって、指導・監査における立会人(弁護士)の選任権を法律上与え、(2)行政手続法改正により、聴聞において不利益処分の具体的事実を特定する資料全部の閲覧・謄写を拒否できないことを明記(すなわち閲覧権の除外事由を限定)する、(3)社会保険医療協議会法改正により、地方社会保険医療協議会に出席して陳述・資料提出する権利を保障することなどが考えられる。

 8.健康保険法改正の理念

 ここまで表面的には、指導・監査・処分の対象者たる保険医(医師)の権利(人権)の観点を中心として、健康保険法改正の必要性等を述べてきた。しかし、その観点にとどまっていたのでは、いわば一業界の権益を確保するのと同様に誤解されて、国会議員の多数が法改正に向けて動くことにはならないであろう。

 そこで、考えてみるに、第一に、溝部訴訟について、提訴前の本件各取消処分を受けての記者会見の時から、地元マスコミが相応の理解を示してくれたのも、最終的な判決で、裁判所が行政庁の裁量権の逸脱を認めてくれた(すなわち裁判所が理解を示してくれた)のも、溝部医師が「患者のためを思って」診療をしていたことであった。判決についてそのように考えられるのは、次のような判示内容があるからである。

 すなわち、甲府地裁と東京高裁は、前提として、「処分理由となった行為の態様、利得の有無とその金額、頻度、動機、他に取りうる措置がなかったかどうか等を勘案して、違反行為の内容に比して」その処分が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかか否かを判断するという基準を示した。その上で、本件各処分の理由となった行為について、プラスに勘案した事情として挙げたのは、「患者のためを思っての行為であり、悪質性は高いとまではいえないものが占める割合が多いこと、その金額は多額ではないこと、また、不正・不当請求も被控訴人自らの利益のみを追求するようなものではなく、いずれも患者の希望や要請に基づいて、患者のためを思って診察ないし処方を行っていること」などであった。

 第二に、そもそも医師(保険医)は何のために診療(保険診療)をするのか、という根本から考えてみると、患者の健康のためである。溝部医師に限らず、医師の本能は、患者の生命・健康を護ることにあるはずである(弁護士の本能が依頼者の権利を護ることにあるのと同様に)。

 第三に、そのような医師が自死したり、違法な取消処分を受けたり、さらに前記の萎縮診療が広まること(前記の病理現象)によって、本当に困るのは誰であるか、考えて見ると、患者(広くは国民全体)である。

 以上のように考えてくると、前記の健康保険法の改正の理念は、医師の人権にとどまらず、憲法25条が保障する国民(患者)の「健康で……生活を営む権利」(健康的生存権)の実現にあるというべきである。すなわち、憲法が保障している国民の「健康的生存権」の理念を実現するためには、国民の保険による「療養給付を受ける権利」すなわち「受療権」「療養権」(保険診療受給権)が確保されなければならず、国民の「受療権」のために医師(保険医)の「診療権」(保険診療実施権)が保障されなければならない(ちなみに、報道機関の報道の自由は、憲法上規定されていないが、最高裁判決でも「国民の知る権利に奉仕する」ものとして保障されており、また、弁護人の弁護権も、憲法上の被疑者・被告人の弁護人依頼権・防御権のために保障されているものと解される)。

 終わりに〜最初の一歩に向けて〜

 筆者は、溝部訴訟の東京高裁判決が確定した後、「指導・監査・処分取消訴訟支援ネット」「保険医への行政指導を正す会」共催のシンポジウムや幾つかの保険医協会等の団体に招かれて、同判決の意義と今後の課題について講演する機会を与えられた。そこでは、現在の指導・監査において同判決の内容をどのように活かせるのか等について説明するにとどまらず、健康保険法改正を訴えてきたが、その中でも、指導・監査における保険医等の立会人(弁護士)選任権については、試案も提示してきた。

 筆者が特にこの点について試案までも提示した理由は、次の(1)健康保険法上の規定および(2)運用上の実績から、もう一歩だけ進んで、この選任権を同法上保障する改正が、最も早く実現する可能性が高いからである。

 すなわち、既に(1)同法上「学識経験者をその関係団体の指定により指導に立ち会わせる」規定(73条2項、その監査への準用規定が78条2項)は、存在する(ただし、「厚生労働大臣は、……必要があると認めるときは、……立ち会わせる」のであって、保険医等の権利ではない)。したがって、学識経験者が立ち会うのに加えて、適正手続上の権利を護る弁護士が立ち会うことには、すべての保険医等に異論がないはずである(仮に「不正請求は許されないから、行政庁が幅広く厳しく処分できるように、行政庁を信頼して、その広範な裁量を維持すべきである」という考えの保険医等がいたとしても、指導・監査に関して保険医が自死する不幸を少しでも防止するため、この点の改正には、異論がないはずである)。また、(2)各地の保険医協会の弁護士帯同運動などの成果により、保険医等が弁護士を「帯同」することは、健康保険法の指導・監査の運用において認められている。そこで、保険医等が弁護士を同法上明確に「立会わせることができる」権利として、これを保障することには、大きな障害はないはずである。

 また、今般、かねてより医療問題全般について積極的に提言をされてきた井上清成弁護士から、溝部医師と共に、健康保険法改正の研究会設立の呼びかけを受け、小嶋勇弁護士、根石英行弁護士、礒裕一郎弁護士も加わって、「指導・監査・処分改善のための健康保険法改正研究会」を立ち上げ、2月23日に「指導・監査・行政処分の改善のための健康保険法改正に関する基本的提言」を発表した。その中でも、基本原則の提言と同時に、研究会の一致した結論として「現在も保険医(医師)の人権侵害が継続している状況に鑑み、まずは、必要最小限、指導・監査における保険医(医師)の弁護士選任権を確立させねばならない」と提言し、具体的試案も提示しているところである。

 指導・監査における保険医等の弁護士(立会人)選任権を定める改正は、実体上の行政庁の「広範な裁量」を制限する改正(最も実現が困難な根本的な改正であるから、いわば最終目標)とは異なり、手続上のささやかな権利を保障する改正ではある。

 しかし、その改正は、上記の理由の通り、本来、最も早く実現されてしかるべきものであるから、これが実現しないようであれば、「広範な裁量」を制限する改正は、夢のまた夢ということになる。そのようなことにならないよう、小さな一歩ではあるが、健康保険法上、指導・監査・処分に関する初めての保険医等の権利として、弁護士(立会人)選任権を定める改正をすべきである。