(2012年5月4日 日経メディカルオンライン 私の視点 掲載) http://medical.nikkeibp.co.jp/
医道審議会医道分科会は2012年3月4日、「医師及び歯科医師に対する行政処分の考え方について」における「診療報酬の不正請求等」の部分を下記1の通り改正した(ただし、番号は、筆者が挿入した)。しかし、この改正は、下記2以下の通り、保険医等の行政処分取消訴訟の東京高裁11年5月31日判決(確定)が示した比例原則の考え方を無視したもので、看過し得ない危険性も含んでいる。
医道審議会医道分科会が公表した「『医師及び歯科医師に対する行政処分の考え方について』の改正について」の説明と改正後のその「考え方」は、次の通りである。
(1)診療報酬の不正請求により保険医等の登録の取消処分を受けた者に対する医師法および歯科医師法上の行政処分については、基本的には不正請求額などに応じてその処分内容を決定してきた…(略)
(2)診療報酬の不正請求は、医師、歯科医師に求められる職業倫理の基本を軽視し、国民の信頼を裏切り、国民の財産を不当に取得しようというものであり、わが国の国民皆保険制度の根本に抵触する重大な不正行為である。
(3)【1】保険医等の取消処分の決定においては、不正請求額の多寡に関わらず取消の期間は一定となっているという事実がある。【2】一方、医師法等の行政処分は、不正請求額などに応じた取り扱いをしているが、「過失の度合いを行政処分に適正に反映することが困難である」「複数の医師が関与した事案については、個々の医師の過失の度合いが適正に把握できない」といった課題もある。
(4)このため、医師法等の行政処分についても、診療報酬の不正請求により保険医の取消処分を受けた事案については、当該不正請求を行ったという事実に着目し、原則として、不正額の多寡に関わらず、一定の処分内容とすることが適当との結論に達したところである。ただし、特に悪質性の高い事案の場合には、それを考慮した処分の程度とする。
(5)また、健康保険法等の検査を拒否して保険医の取り消しを受けた事案については、検査拒否という行為が、社会保険制度の下に医療を行う医師、歯科医師に求められる職業倫理から到底許されるべきでないことから、より重い処分を行うこととする。
本稿で保険医等処分取消訴訟というのは、甲府市の「みぞべこどもクリニック」を運営する溝部達子医師が、診療報酬の不正請求等により行政から受けた保険医療機関指定と保険医登録の各取消処分(行政処分)の取消を求めた訴訟である(関連記事)。甲府地裁は、10年3月31日、下記3の比例原則(行政法の一般原則)を取り入れた判断基準を示した上で、各取消処分が違法であると判断した。控訴審の東京高裁も、11年5月31日に同様の判決を下した。
この判決内容を踏まえると、今回の医道審議会による「改正」の結論(上記(1)から(4))は比例原則に反する改悪であり、その表面的理由(上記(3))も東京高裁判決の内容と医道審議会の責務を無視するもので、その根本的理由(上記(2))は看過し得ない危険性を含むものである。
そこで、下記3以下の通り、その「改正」に異議を述べておきたい(なお、上記(5)については、別の問題を含んでいるので、またの機会に取り上げたい)。
比例原則とは、行政権限の発動は、法規上は幅広く認められていても、行政目的の達成に必要な最小限度の手段にとどめるべきだとの原則(すなわち、目的と手段との均衡を要請する原則)である。手段としての行政行為(これにより侵害される利益)は、求められている成果(目的、得ようとする利益)に比例していることが要請される。分かりやすいたとえとしては、ドイツの行政法学者Fritz Fleiner(1867-1937)の「警察は、雀を撃つのに大砲を使ってはならない」という名言がしばしば引用される。
比例原則は、かつては警察法上の原則として成立し発展してきたものであるが、その後、行政行為一般に適用され、今日においては行政権の活動全体に適用される行政法の一般原則と考えられており、日本国憲法下においては、その根拠が13条(人権最大尊重の原理)にあるとするのが行政法学界の多数説である。
すなわち憲法13条は、「全て国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」としているから、人権が「公共の福祉」に反した場合でも、その制約は必要最小限であることが要請される。
この比例原則から、行政処分の場合(例えば法令違反に対して不利益処分が行われる場合)には、処分の理由(違反の内容・程度)と処分の重さ(不利益の程度)との比例性が求められるのである。
前記の東京高裁判決は、厚生労働大臣と地方社会保険事務局長(現在は地方厚生局長)に「保険医療機関・保険医の指定・登録を取り消すか否かについては大きな裁量がある」としながら、次の通り判示した(a以下の記号は、筆者が挿入した)。
「現在、大多数の医療機関が保険医療機関の指定を受け、大多数の医師が保険医の登録を受けていることや、これらの指定・登録を取り消されることによる医療機関・医師の不利益を考えると、その裁量にも限度があるというべきであって、(a)処分理由となった行為の態様、(b)利得の有無とその金額、(c)頻度、(d)動機、(e)他に取り得る措置がなかったかどうか等を勘案して、違反行為の内容に比してその処分が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には、裁量権の範囲を逸脱し、またはその濫用があったものとして違法となると解するのが相当である」